東京サミットで生まれた警備の歴史

東京サミットで生まれた警備の歴史

福岡県の警備会社、株式会社アーカイヴセキュリティがお届けするブログ・第5回は、東京サミットと警備の歴史についてお伝えします。

1979年 日本ではじめてのサミット開催

1979年6月28日・29日、東京の迎賓館において第5回先進国首脳会議(東京サミット)が日本で行われました。

これが日本における最初のサミット開催でした。

過激派や右翼がこれに反発、東京を中心とした4都道府26カ所で約6,000人を動員した大規模集会や反対活動が行われます。

そして「6.23首都高速道路上車両炎上事件」など7件のゲリラ事件のほか、「6.8迎賓館前火炎車突入未遂事件」なども合わせると、東京サミット開催に反対するゲリラ・テロ活動は総計13件にも上りました。

それに対し警視庁では、最高時で1日に26,000人もの警護警備体制を実施します。一斉検問・都県境検問・重要防護対象警戒などを徹底、首都高速道路や都心の一般道路でも大規模な交通規制を行いました。

東京サミットの警備に従事した警察官は、最終的に全国で延べ約41万2,000人。その活躍のおかげで大きな混乱もなく無事に日本初のサミットは幕を閉じます。

日本初・女性SPの誕生

初の女性首相に就任したサッチャー氏の警護のために、1400人の女性警官の中から武道の心得のある20人が要人警護のSPに選ばれました。

今では見かける機会も多くなった女性SPですが、これが日本での初の女性SPの誕生です。この頃はOLのようなスーツ姿での勤務でした。

その後ドラマ「大空港」では、東京サミットで女性SPとして活躍したという設定の空港特捜部の女性刑事が登場しました。

しかし実はこれにはあるエピソードがあります。英公文書館の外務省機密文書が解禁された際、サッチャー首相は女性SPによる警護を固く辞退したと記されていたのです。

残された外務省の文書によると「首相は他国の首相と同じ待遇を希望している」と書かれています。

初の女性首相だからといって「特別扱いは望んではいない」
鉄の女と呼ばれたサッチャー首相らしい強い意思を感じる言葉が残っています。

7年ぶり2回目の東京サミット

1986年5月4日5日6日の3日間にわたって開催された第12回先進国首脳会議・東京サミット。前回と同じく東京の迎賓館が会場となりました。

警視庁は30,000人の警護警備体制を実施、テロや反対活動に備えます。しかしサミット開催中の5月4日午後4時20分頃、事件が起こりました。

新宿にあるマンションの一室から迫撃弾が発射されたのです。標的は2.5キロ先にある東京サミット会場である迎賓館。中ではまさに歓迎式典が挙行されている真っ最中でした。

迫撃弾は迎賓館を飛び越え発射地点から約3.5キロメートル先の港区赤坂路上やビルの屋上に落下。爆発はありましたが幸い大きな被害はありませんでした。

1986年の東京サミットでは、なんと32件ものゲリラ・テロ活動が引き起こされています。

それに対して連日40,000人の警備員を配置、直前の「天皇陛下御在位60年記念式典」とそれに続く東京サミットまでに活躍した警備員の総数は延42万人。彼らの活躍により、2回目の東京サミットも無事に閉幕します。

次回の日本開催は2023年

1993年に開催された日本で3回目の東京サミットでは、テロ・ゲリラ事件は1回。多くの警備員たちが数々の経験を元に事前に事件を防ぎ、安全な開催を影で支えてくれています。

この後日本で行われたサミットは、沖縄・洞爺湖・伊勢志摩と続きました。次回は2023年、日本での開催を控えています。

またきっと新たな警備の歴史がここで刻まれることでしょう。

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