安全を守るプロ・警備の誕生と成長の歴史
福岡県の警備会社、株式会社アーカイヴセキュリティがお届けするブログ・第1回は、警備の歴史についてお伝えします。
工事現場や道路、ビルやイベント会場など様々な場所で見かける警備員の姿。
今や警備業は私たちの暮らしになくてはならないものです。
でも実は警備業が誕生した当時の日本では、警備会社の仕事はあまり需要がありませんでした。
オリンピック・万博・三億円事件…
警備の歴史は日本の歴史
日本における警備業の歴史は意外と浅く、日本発の警備会社が誕生したのは1962年のこと。
しかし、当時は「日本の水と安全はタダ」という認識が一般的だったこともあり、警備会社の存在はあまり必要とはされず、商売としては成り立たないのではとまで言われていました。
そんな警備業を一躍有名にしたのが1964年、東京オリンピックでの選手村の警備でした。
この選手村での警備が評価され、1970年に行われた大阪万博、1972年の札幌オリンピックの会場でも多くの警備を委ねられることとなります。
また東京オリンピックの翌年である1965年には、日本初の警備会社をモデルにしたテレビドラマ「ガードマン」が制作されました。
ドラマは最高視聴率40.5%を超え、劇場版作品も2本制作される大ヒット。
このドラマの影響で警備業の知名度が一般にも広がり、主人公に憧れた多くの人が警備員募集に応募することとなりました。
1968年の三億円事件も、警備業に大きな変化をもたらします。
1967年に警備会社が日本初の現金輸送車を完成させ、サービスを開始していましたが、普及率はまだ低いままでした。
しかし、一般の銀行員が現金を輸送していた時に起きたこの事件をきっかけに、プロに任せるべきだという認識が広まりをみせ、第三号警備業務として現金の輸送は警備員が行うようになったのです。
仕事の可能性が広がり続ける警備業
高度成長期の日本と、警備の需要の高まりはシンクロし、成長を続けていきます。
高層ビルの建築ラッシュで建設現場の警備が急増、また高速道路の誕生による自動車の増加で交通警備の仕事も急成長します。
昭和後期には、家庭向けの警備システムも開発され、警備業が一般家庭の安全も担うようになりました。
駐車場警備やイベント・スポーツなどの会場警備、会社や商業施設の警備の他にも、銀行や病院、美術館や博物館などのさまざまな施設、学校、一般住宅まで警備の仕事はさらに大きな広がりをみせています。
また阪神・淡路大震災をきっかけに、各都道府県警備業協会は災害時における支援協定を、各地の県知事や県警本部長と締結。
警備業界の人的支援活動として、東日本大震災などでの被災地で、交通誘導や防犯パトロールなどの災害支援活動も行いました。
日本に誕生した当初は「必要ないのでは」とまで言われていた警備会社。
今では、その存在のおかげで私たちが安心して日常を過ごせる、
そしていざという時には助けてくれる、警備業はそんな存在となりました。
ますます活動の場を広げそうな警備業の歴史を、あなたも一緒につくってみませんか?
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